海洋の大循環 −何がそれを決めているのか−

海洋の循環はそれに伴って大量の熱や物質(炭素など)を輸送し、気候の成り立ちにおい て非常に重要な意味を持つ。世界の海洋を大規模に巡る海洋大循環は、その駆動力によっ て風成循環熱塩循環に大別される。

風成循環は海面を風が引きずること(風応力)によって引き起こされ、主として海洋の上 層数百mにおいて水平的な循環をなす。この水平循環は海洋全体をひとつにつなぐという よりも、いくつかの閉じた循環として存在し、各々の循環は西端において強い南北方向の 流れ(西岸強化流)を伴う。黒潮、親潮は風成循環における西岸強化流の代表例である。風 成循環の形態や強さは観測によってよく知られており、また、どうしてそのような形態や 強さを持つかということも理論的によくわかっている。

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一方、熱塩循環は海面における大気−海洋間の熱交換および淡水の出入り(蒸発・降水・ 河川流出など)によって引き起こされる。海水の密度は温度と塩分によって決まり、温度 が低いほど、また塩分が高いほど密度が大きくなる。海面において大きな密度を獲得した 水は海洋深層に沈み込み、深層を流れた末に再び海面付近に戻る。このように熱塩循環は 海洋の表層と深層をつなぐ形で存在する。しかし、深層における流速の観測は容易でない ため、現実の熱塩循環がどのような形態や強さを持って存在するかは、風成循環ほどには 詳細にわかっていない。

海水が深層まで沈み込む場所(深層水形成領域)は非常に狭い領域に限られていることが 知られている。現在の海洋における主な深層水形成領域は北大西洋高緯度と南極周辺であ る。これらの場所で沈み込んだ水が深層を流れていく様子は、海洋深層の温度・塩分・溶 存物質の観測によって知ることができる(これらの量は流速に比べて観測しやすい)。こう した観測結果から、現在の海洋においては全海洋をつなぐような形で熱塩循環が存在して いることが知られており、循環量の推定もなされている。しかし、そうして求められた熱 塩循環の形態や強さには不確定な部分が多い。熱塩循環の理論的研究はいまだ発展途上で あり、その進展においてはモデリングを欠かすことはできない。



Temperature Salinity Phaostphate
上図:大西洋、太平洋それぞれで東西平均した水温(左)、塩分濃度(中)、リン酸濃度(右)の分布。
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上図:温度・塩分・溶存物質分布より導かれる、海洋 深層の流れの様子。北大西洋高緯度を起源とする深層水(緑)は深さ2000〜3000mを南下して南大洋に達し、 南極周辺で形成された深層水と混合され、大西洋・太平洋の4000m以深の底層を北上する(紫)。

熱塩循環は沈み込みと湧昇を伴うのであるが、沈み込みが高密度の獲得に対応して生じる のに対し、湧昇は深層水の密度が下げられること(浮力の獲得)に対応して生じる。この浮力の獲得がどこでどれだけの強さで生じているのかが熱塩循環の形態と強さを決める 。深層水が浮力を獲得するプロセスとしては、海洋内部における混合が従来から重要視され ている。一般に海洋は上層ほど高温であるような構造をしており、深層水が上層の水と混 合されるということは深層水が浮力を獲得することを意味する。

熱塩循環の研究が本格的になされるようになったのは今から40年ほど前であるが、その頃 からつい最近に至るまで、海洋内部における混合は全海洋でほぼ一様に生じていると考え られてきた。すなわち、全海洋で一様に湧昇が生じているという熱塩循環像ができあがっ ていた。しかし、最近になって海洋深層で生じている混合の強さの観測が行われるように なり、そのような見方は修正を強いられている。具体的には、海底の起伏が激しい領域で は混合が非常に強く、海底が平坦な領域では混合がほとんど生じていないことがいくつか の海域で観測されている。起伏の激しい海底上で強い混合が生じる原因は地形の影響を受 けた潮汐流にあると考えられているが、混合の強さが具体的にどのように決まるのかとい うことに関してはまだわからないことが多い。また、混合の強さの分布を全球的に観測す るのにはまだまだ時間がかかる。我々は混合の強さの全球分布をある仮定に基づいて半理 論的・半経験的に求め、その分布のもとでの熱塩循環を海洋大循環モデルを用いて再現し た。その結果、従来のように混合が一様に起こっていると仮定して得られた循環と我々の 計算で得られた循環の間には構造的に大きな違いがある ことが示された。混合の強さを全球的に観測すること、およびその混合の強さを決めるメカニズムを明らかにすることが熱 塩循環の理解へ向けた大きな課題である。

上図:ブラジル海盆の観測線(上)に沿った、混合の強さの分布(下)。


上図:強い混合が生じている領域の分布。


上図:混合の強さが空間的に変化していることを考慮した場合(左)と考慮しなかった場合 (右)の太平洋深層循環の模式図。前者では西部北太平洋における強い混合に伴う湧昇 が太平洋深層循環を支配的に駆動する。

さらに、深層水が浮力を獲得するプロセスにおいて、風も重要な役割を果たすということ が我々の研究によって明らかにされている。海面での風応力が水平的に変化していると、 その変化のしかたに応じて海洋には上昇流または下降流が生じる。海洋大循環モデルを用 いて我々が行った実験結果によると、北大西洋高緯度で沈み込んだ深層水(北大西洋深層 水)の浮力の獲得は南大洋で集中的に生じており、その原因は南大洋上の風の分布がもた らした上昇流が深層水を暖めることにある。さらに、北大西洋深層水の湧昇に対しては混 合による浮力の獲得は風による浮力の獲得に比べてはるかに小さい。このように、風が原 因となって南大洋という比較的高緯度において深層水が暖められ、それが熱塩循環を駆動 しているという見方は、従来の熱塩循環像を一新するものである。



上図:現実(上)と南大洋上の風をなくした場合(下)の、大西洋におけ る東西平均の循環。南大洋上の風がないと、北大西洋深層水に 伴う循環はかなり弱まる。


上図:南大洋上の風の強さ(横軸)を変えていった時の、北大西洋深 層水の流量(縦軸)の変化(○:形成領域、×:赤道)。流量は南 大洋上の風の強さにほぼ比例している。


上図:現実(上)と南大洋上の風をなくした場合(下)の、海面での熱の 出入りの分布。