最終更新日: 2004年6月28日

海洋内部の微小スケール混合過程と全球規模熱塩循環の関わり

海洋の熱塩循環は、海水が浮力を失うことによる沈降流と、海水が浮力を獲得することによる湧昇流、そして沈降領域と湧昇領域をつなぐ水平的な流れからなっています。そして、沈降領域は非常に限られているのに対し、湧昇領域は全球に広く分布するものと考えられています。この湧昇領域で浮力の獲得をもたらすものは鉛直方向の海水混合です。特に、温度躍層と呼ばれる、深さ数百メートルに存在する水温が鉛直方向に急激に変化するあたりでの鉛直混合が重要です。

海洋のうち深層水形成が生じていない場所では、上に行けば行くほど密度が低くなるような状態になっています。このような状態のもとで鉛直混合が生じると、深層水はより上層の低密度水と混合され、浮力を獲得して(密度が低下して)湧昇します。一方、水柱の位置エネルギーという観点からすると、鉛直混合は水柱の重心を上げる働きを持ち、したがって位置エネルギーを高める働きを持つことになります。力学的エネルギーは勝手に増えることはありませんから、鉛直混合が起こるためには外部からのエネルギー供給が必要です。このエネルギーを供給する源は風と潮汐にあります。風は海面付近で、潮汐は海底付近でそれぞれ内部波と呼ばれる波動を生じ、これは海洋中を鉛直方向に伝播します。波動の伝播はエネルギーの伝播を意味し、それが海洋中で砕波するとその場所でエネルギーが消費されます。このとき消費されるエネルギーが鉛直混合で位置エネルギーを高めるために使われます。

鉛直混合のエネルギー源として風と潮汐のどちらがより重要なのかという問題には完全な決着はついていないのですが、近年の観測によると深層海洋の鉛直混合は空間的に大きく変動し、海底地形が起伏に富んでいる場所ほど鉛直混合が大きいことが示されています。また、そのような領域では海底直上だけでなく、ずっ と浅い領域での鉛直混合も大きな値を示します(図1)。潮汐による海底での内部波の励起は、海底地形の凹凸が激しい領域で選択的に生じるため、このことは深層海洋における鉛直混合のエネルギー源としては潮汐が大きな寄与をしていることを示すものと考えられます。ただし、このように観測的に鉛直混合の実際の大きさが知られている領域はわずかで、理論的にどのような値になるべきかについてもまだはっきりとしたことはわかっていません。そして、現在においてもなお、海洋モデリングにおいてこのような鉛直混合の空間不均一性が考慮されることはあまりなく、鉛直混合の係数は水平方向に一様に与えられるのが一般的です。

vertical diffusivity

図1: ブラジル海盆における観測に基づく鉛直混合の大きさの分布。暖色ほど鉛直混合が大きい。Polzin et al. (1997) からの抜粋。

現在までほとんどの海洋大循環モデルにおいて鉛直混合の空間不均一が考慮されていないのは、ひとえにどのような値を与えればよいのかが十分にわかっていないからです。しかし、上に見られるような観測結果を背景として、簡単な仮定に基づいて起伏の激しい海底上でのみ大きな鉛直混合を与えて海洋大循環モデルによるシミュレーションを行うと、鉛直混合が水平一様に与えられている場合に比べて、海洋深層循環は量的にも空間構造的にも大きく違ったものになることが示されます(図2)。与えた鉛直混合がどれだけ妥当なものなのかという問題は残りますが、それでも鉛直混合の空間不均一性は無視してはならないものであるのは間違いありません。

uniform diffusivityinhomogeneous diffusivity

図2: 太平洋底層での深層水の輸送量(矢印)と湧昇量。左は鉛直混合係数が水平一様の場合で、右は起伏の激しい海底上でのみ大きな値を与えた場合。Hasumi and Suginohara (1999) の結果より。

海洋深層循環の流量と空間構造を正しくシミュレートするためには、潮汐に基づく鉛直混合の効果を正しくモデルに採り入れる必要があり、そのような努力は世界中のいくつものグループで現在進行中です。これは翻って言えば、海洋深層循環に関する理解は未だにその程度の不完全なものだということです。この理解を深めるために海洋大循環モデルは必要不可欠な道具で、モデリングが現在進行形で海洋の未知の部分の解明に役立てられている顕著な例のひとつです。



参考文献

Hasumi, H., and N. Suginohara (1999): Effects of locally enhanced vertical difusivity over rough bathymetry on the world ocean circulation, Journal of Geophysical Research, 104, 23367-23374.

Polzin, K. L., J. M. Toole, J. R. Ledwell and  R. W. Schmitt (1997): Spatial variability of turbulent mixing in the abyssal ocean, Science, 276, 93-96.

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