南極沿岸では活発な海氷生成によるブライン排出を起源とする高密度水が深層に沈み込んでおり、これが南極底層水の起源になっている。このような深層水形成は海洋大循環を駆動する要因でもあり、その定量的な理解は地球の気候を論ずる上でも重要である。
沿岸で形成された高密度水は、まず沿岸付近の大陸棚上の海底付近に溜まる。これが全世界の海洋の深層を占める高密度水になるまでには、大陸棚上から大陸斜面上へと流出し、大陸斜面上を深層まで下降しなければならない。このような高密度水が重力の作用によって斜面を下る流れのことを重力流と呼ぶが、地球という回転系においてはコリオリ力が作用するため、高密度水は重力流となって斜面を下るというよりも、重力とコリオリ力の斜面に沿う方向の成分がバランスすることによって斜面上の等深度を流れる傾向がある。したがって、ただ大陸棚上で高密度水が生成されるというだけでは、深層水が形成されるとは言えない 。重力流の沈降のためには、コリオリ力と重力の間のバランスを崩す何らかの作用が必要となる。
そのバランスを崩す要因としては、海底摩擦の効果、傾圧不安定 に伴う渦による輸送効果、斜面上の地形起伏の影響など、様々なものがこれまでに指摘されている。しかし、これまでの研究ではそれらの個々の要素が理論的あるいは理想化設定の数値シミュレーションとして扱われるばかりであり、実際の海洋においてどのプロセスがどの程度働くのかについてはほとんど調べられていない。
ウェッデル海の奥部は棚氷によって覆われており、その棚氷の端には冬季に沿岸ポリニヤが形成される。ここでは活発な海氷生成に伴って高密度水が生成されるが、直下の大陸棚上に落ちた高密度水は即座に外洋に向かうのではなく、逆に棚氷の下にもぐりこみ、そこを反時計回りに循環して再び棚氷の外に出る(図1)。棚氷の下面は結氷温度に保たれているが、海面よりも 100 m 以上深くに存在するため、圧力の影響によってそれは海面で実現される結氷温度よりも低くなる 。その影響を受けるために、棚氷下から再び外に出た海水は非常に低温であるという特徴を持つ。こうして生成される低温の高密度水は棚氷水と呼ばれる。この棚氷水はフィルヒナー陥没と呼ばれる海底地形のくぼみに沿って大陸棚の端へと達し、大陸斜面上へと流出する。フィルヒナー陥没の出口においては、このようにして局所的に継続的な高密度水供給が存在する。流出した棚氷水はコリオリ力の作用のために大陸斜面上をほぼ等深度線に沿って流れるが、西経36度付近に存在する小規模な海嶺に当たって進路を北向き(沖向き)に曲げられ、等深度線を横切って沈降することが観測に基づいて知られている(図1)。また、この高密度水の沈降においては、サーモバリック効果の働きが重要であることが指摘されてきているが、実際にどの程度の大きさをもってこの効果が沈降に寄与しているのかは明らかでない。我々は、ウェッデル海における深層水形成の主要な起源となっているフィルヒナー流出を対象に、海底地形起伏の影響が他の要素に比べてどの程度重要かについて、またサーモバリック効果が高密度水沈降にとってどの程度重要かについて、定量的に明らかにすることを目的として、現実的設定のもとで高解像度モデリングを実施した。
図1: (左)ウェッデル海奥における高密度水の形成場所と経路、(右)観測に基づいて推定されたフィルヒナー流出の経路。
モデリング結果において、フィルヒナー陥没の出口で供給された高密度水は、大陸斜面上をまず西向きに流れ、海嶺にぶつかる場所で手前にある谷線に沿って下降している(図2)。こうした全体的な様相に加え、直接観測が存在する場所での水温・塩分分布や流速は、観測とよく整合している。図2に示した結果からわかる通り、高密度水の主要な流路は海嶺の手前を下降するものだが、海嶺の先端を回り込んで等深度線に沿ってさらに西向きに流れる成分も存在する。また、海嶺の先端からは渦が切り離され、これもまた高密度水を沈降させる働きを持つことがわかる。
図2: モデリング結果における、海底付近の海水中のフィルヒナー流出水の濃度。Matsumura and Hasumi (2010) より。
斜面上において重力とコリオリ力の間のバランスだけを考慮する場合、コリオリパラメータ f, 等深度線に沿う流速 U, 斜面の勾配α, 重力加速度 g, 高密度水の密度ρ, 高密度水と周囲水の密度差Δρに対して fU = -gαΔρ/ρが成り立つ。この場合、任意の f, α, ρ, Δρに対して、バランスを満たす U が存在する。ただし、等深度線が曲率を持っている場合には、等深度線に沿う流れのバランスの中に遠心力の項が加わる。曲率半径を R とするとき(等深度線が沖に向かって凸の場合を正とする)、バランスの式は fU + U2/R = -gαΔρ/ρとなる。このバランスを満たす U が存在するためには、R に上限値 Rc = 4gαΔρ/ρf が存在する。これよりも小さい正の曲率半径を持つ場合、等深度線に沿う流れは斜面に沿うことができず、剥離して外洋側へと向かう。外洋に向かう過程では高密度水層が上下に引き伸ばされることになるため、ポテンシャル渦度保存より高密度水層は f と同じ符号の渦度を獲得する。フィルヒナー流出における典型的な条件で Rc を見積もるとおよそ 4 km となり、海嶺先端の曲率半径 3-5 km とよく対応する。したがって、図3に見られた海嶺先端から切離する渦は、このような理由によってできたものだと考えられる。
一方、海嶺の手前の部分は曲率が負であり、遠心力は流れを斜面に押し付ける方向に働くため、高密度水の沈降を阻害する要因として働く。その一方で、この部分では等深度線に沿って進むにつれて斜面の勾配が急になっていく。この場合には、バランスの式において、斜面勾配が空間的に変化する影響を表す項が新たに追加されることになる。ここでは具体的な式は割愛するが、その結果として、曲率・コリオリパラメータ・斜面勾配それぞれについて等深度線に沿って考えた微分が問題となり、それらの兼ね合いによって沈降が生じるかどうかが決まる。これについてもやはりフィルヒナー流出における典型的な条件で評価したところ、海嶺の手前は確かに高密度水の沈降が生じるべき場所にあたっていた。
フィルヒナー流出で与えられた高密度水がどの深度に供給されるかを調べたところ、2500-3500 m にわたって幅広いピークを持って分布し、高密度水の一部は 4000 m の深さまで輸送されていた。海嶺を平滑化した実験の結果では、高密度水は深度 2500 m を中心に分布し、3000 m より下にはほとんど輸送されない。海嶺が存在しない場合に高密度水の沈降を担うものは、海底摩擦と傾圧不安定と考えられる。今回の対象領域においては、高密度水が深層に沈降する要因として、海底起伏の効果が海底摩擦や傾圧不安定の効果を大きく上回ることが示された。
海水の密度は水温・塩分・圧力の函数として決まるが、その状態方程式が持つ非線型性に起因したいくつかの特徴的な現象が知られている。サーモバリック効果はそのひとつで、海水の圧縮率が水温に依存することによって現れる効果である。例えば一様な水温(正確にはポテンシャル温度)の海水の中をそれよりも低温の水が沈降する場合、深くなるにつれて低温水の方が強く圧縮されるため、周囲の水との間の密度差は大きくなっていき、沈降が促進されることになる。
フィルヒナー流出についてこの効果を定量的に評価するために、サーモバリック効果を取り除いたシミュレーションを行った。これは、モデルで用いている状態方程式において、水温と圧力の積の項については水温を一定の参照温度にすることで行っている。その結果、高密度水の最大到達深度は 3400 m 程度となり、確かにサーモバリック効果が高密度水沈降において量的に無視できない寄与をしていることが示された。ただし、他に様々な感度実験を行う中で、サーモバリック効果が必ずしも高密度水の沈降を促進するばかりではないことも明らかとなった。例えば、フィルヒナー流出の大陸棚上からの供給量を減らした実験を行ったところ、サーモバリック効果を取り除いた方が逆に深くまで高密度水が沈降するという結果が得られた。
前述の通り、サーモバリック効果が沈降を促進するのは、高密度水が周囲の海水よりも低温の場合である。いま対象にしているウェッデル海では、沈降する高密度水の周囲にある海水の密度(正確にはポテンシャル密度)は鉛直方向にほぼ一定であるが、水温と塩分は鉛直方向に変化している。すなわち、上方では比較的高温・高塩分、下方では比較的低温・低塩分になっている。この中を低温の高密度水が通過するとき、上方で強い混合を受けてしまうと、高密度水があまり深くまで達しない段階で、沈降する高密度水の水温が周囲の水温よりも高くなってしまう(密度はあくまでも沈降する側の方が高くても)。このような場合にはサーモバリック効果は高密度水の沈降を阻害する。実際、上述の供給量が少ない実験においては、そのような状況が確認された。
Matsumura, Y., and H. Hasumi (2010): Modeling ice shelf water overflow and bottom water formation in the southern Weddell Sea, Journal of Geophysical Research, 115, C10033.
Matsumura, Y., and H. Hasumi (2011): Dynamics of cross-isobath dense water transport induced by slope topography, Journal of Physical Oceanography, 41, 2402-2416.