氷床コアの歴史に関する招待論文の和訳

"A brief history of ice core science over the last 50yr", J. Jouzel, Climate of the Past, 9, 2525-2547, 2013の和訳です。
open accessなので、家から読むことができます。
http://www.clim-past.net/9/2525/2013/cp-9-2525-2013.html

・Abstract
およそ50年にわたって、氷床コアは古気候及び古環境変動についての多大な情報を提供し続けてきた。グリーンランド、南極や氷河域での氷コアからは今や広い時間スケールをカバーすることが可能になっている。しかし、最終氷期といった長い時間スケールの変動については氷床コアの深層部から得られるのだが、得られている深層部氷床コアはまだ限られている。グリーンランドからは7つで、そのうち最終間氷期まで達しているのが1つである。南極では12個であり、そのうちもっともカバーする期間の長い1つは80万年前まで達している。本稿は、数少ない先駆者およびその研究チームによってはじめられた冒険の記録を集約し、科学的に重要な気候復元に関して得られた知見をレビューする。IPICS(International Partnerships in Ice COre Science)によって決められた、4つの今後のプロジェクトも紹介する。およそ150万年前、更新世中期のmid-Plistocene transitionの完全な記録を採取するのが1つの困難な課題である。

・1 Introduction
(一部略)
 私は、氷床コア研究が科学コミュニティの外からどうみられているかについて関心を持っている。1つのよくまとめられた文書は科学史家S. Weartによる"地球温暖化の発見"のグリーンランド氷床掘削に関する章である。
 本稿も同じ精神に則って書かれている… 私自身科学者として、氷床コア科学についての客観的な記述はおそらくできず、多くの部分は私の認識に基づいている。私はおよそ40年前の1978年に、Claude Loriusの招待によって、フランスの氷床深層掘削のプロジェクトに参加する機会を得たのが最初のフィールドだった。南極平原のDome Cにて905mの氷床コアを掘削した。グリーンランド南部のDye3およびWAISCOREのような近年のプロジェクトを除いて、私は幸運なことに、80年代以降の南極およびグリーンランドを舞台とした主要なプロジェクトの一員となることができた。実際に私自身がフィールドに出たのはGRIP, NGRIP, NEEMと南極への短期だったが。
 本稿は、氷床コア掘削の歴史と氷床コア科学の両方を扱う。しかしすべての科学的側面を網羅するのはあまりにも広がりが大きすぎる故、私自身がもっとも感心がある気候、とくに水同位体比による同位体気候学、それに気候関係の古環境復元、年代決定に焦点を当てる。本稿では、古大気および生科学的物質循環、宇宙線生成核種といった氷および雪中の科学組成から得られる情報や、氷の物性物理、氷河や氷床のモデリングに関する研究はカバーしない。

2章 氷床コア掘削:Camp CenturyからWAIS divideコアまで
 最初に氷床内部の探査が行われたのは、1935年にSorgeがグリーンランドのEismitteにおける15m深度の穴の調査だった。最初の氷床コアの取得は、それよりおよそ20年たったのちに3つの独立した国際研究チームによってなされた。それぞれノルウェー・イギリス・スウェーデンによるQueen Maud Landの沿岸(現在ではDronning Maud Landとよばれる)、アラスカジュノーにおける氷原研究プロジェクト、中央グリーンランドにおけるフランス極地研究所だった。1950年代に掘削されたこれらの氷床コアはおよそ100m深度で質も悪く、詳しく分析するための修復するのが困難であることもしばしばだった。1957年から1958年にかけての国際地球物理年は、氷床コアの出発点として記録される。科学研究を目的とした極域の深層コア掘削は、地球物理年の1つの目玉だった。1960年代から1970年代にかけての初期の極域における深層掘削には、アメリカ、ソ連、デンマーク、スイスとフランスの5つの国が活躍していた。
 Henri BaderとChet Langwayのリーダーシップのもと、アメリカ陸軍の支援もあってアメリカの研究チームはとても活躍していた。1961年に、雪氷凍土研究機関は他のアメリカ陸軍の研究所と合併し、寒冷圏研究所(CRREL)が発足した。1956年、1957年とグリーンランドのSite 2においてつづけて2つのコア(305m,411m)が掘削され、1957年から58年にかけては南極Byrd基地で309m、1958年から59年にかけてロス棚氷上のLittle America Vにおいて264mのコアが掘削された。1960年の秋に掘削基地がグリーンランド北西部のCamp Centuryに移された。6年間の奮闘によって、初めて基盤ガンに達する1388mの長さの氷床コアが掘削された。寒冷圏研究所の掘削者たちは、南極においては地点への近づきやすさを考慮して、西南極のByrd基地を選んだ。この掘削も成功し、1968年には2164mの深度に達したものの、掘削ドリルが穴の底に残されてしまい、アメリカの掘削者は深層掘削の成功を1993年まで待たねばならなかった。
 この間、国際協力が寒冷件研究所、アメリカ国内の諸研究者、コペンハーゲン大学とベルン大学の間で確立された。特にWilli DansgaardとHans Oeschgerによって先導された。Dansgaardは極域の降雪と気温の間の強い関係を確立した先駆者であった。同僚のコペンハーゲンの研究者とともに、初めて氷床コアから連続的な同位体のプロファイルを作成した。このような同位体比によるアプローチはアメリカのEpsteinによっても開発された。Oeschgerの当初の興味はC14年代法による、少量の試料からの氷床コア年代測定のスペシャリストになることだった。Camp CenturyとByrdの掘削の成功を受けて、アメリカ・デンマークとスイスの協力関係は、1970年代前半におけるグリーンランド氷床プロジェクト(GISP)を生み出した。Byrd基地でドリルを失った後、コペンハーゲンのチームは深層掘削を引き継いで、Niels GunderstrupとSigfus Johnsenの指揮のもと、Istukとよばれた新しいドリルを開発した。物流拠点の関係から、グリーンランド南部にあるDye 3地点がこの新しい掘削プロジェクトの地点として選ばれ、1979年から1981年にかけて、2038m深の基盤岩に達した。
 ソ連とロシアの活動は1955年の北極及び非極域の掘削によって始まり、1956年から57年にかけて南極Mirny基地付近で377mの深層コアが掘られた。ボストーク基地における深層コア掘削は1970年4月に始まり、9月には506.9mの震度に達した。ここではYe. S. Korotkevichの指揮のもと、1980年からはフランスとアメリカのチームも合流して、これまででもっとも深い地点である3623mまで達した。ボストーク基地における掘削は、2012年の2月に、ボストーク湖のすぐそばである3769mにまで達した。ボストーク基地で掘削された氷床コアは、世界で初めて1つの氷期間氷期サイクルをカバーする氷床コアとなった。  フランスの活動は、フランスの基地であるDumont d'Urville基地の周辺の海岸域において1960年から1970年代にはじめられた。Dome Cにて905mの深層コアを掘削した。このDome CはByrdやCamp Centuryと異なり、氷の山の頂点に位置することからその地点に積もった雪を記録しているので、氷床コアの解釈を容易にした。GrenobleのSaclayとOrsayのチームも加わって、このコアからBe10、宇宙線生成核種、二酸化炭素、重水素、酸素同位体比の測定といった調査が初めてなされた。
その一方でオーストラリアとカナダも1960年代と1970年代に極域での掘削を始めた。オーストラリア南極観測隊は東南極インド洋セクターの沿岸にある小さな氷床Law Domeにフォーカスして、1969年に382mの、1977年に477mのコアが掘られた。1990年代には場所を移してDome Summit Southで、1993年に基盤岩に達した。PatersonとKoernerは、極域でのカナダの掘削で中心的な役割を果たした。70年代にDevon氷帽で基盤岩に到達し、のちにAgassiz氷原、Penny氷帽とWales氷床が続いた。2万年前の最終氷期に達するような深層掘削に着目して、ここでグリーンランドと南極において過去30年にわたって行われたプロジェクトについて簡潔に紹介しようと思う。

第3章 深層コアから分かる古気候
第4章 氷に含まれる気体に記録されている温室効果ガスをはじめとする物質
第5章 今後の展望

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