住 明正
日生気誌38:9-12,2001.
一地球温暖化問題に関して は,理解も感じ方も個人差が犬きい.このように見解が異なっていると,国民的な合意を形成 することが困難になってくる.そこで,地球温暖化間題とは何かを(1)温暖化は事実か,(2) 温暖化は人間活動が原因か,(3)温暖化して何が悪いか,という3点を軸に,地球温暖化問題 とは何か,我々は何をなすべきかについて考えてみよう.
20世紀の最後になって,COP6での合意形成が
行われなかったことが,何かしら,地球温暖化問
題の将来を示唆しているような気がする.その理
由は、地球温暖化問題そのものに対する理解が,
個人によって,国によって異なるところにある.
人によっては,21世紀には人類は絶滅するか
のごとく危機を説く人もいる.一方,「天気予報
も完全に当たらないのに,100年先の気候が当た
るわけは無い」と最近までの気象学を中心とする
学問の進展を全く認めない人もいる.これらの極
端な意見の間に立って,普通の人は,「本当はど
うなの?」と疑問に思うことであろう.そこで,
ここでは,
(1)地球が温暖化しているのが本当に観測できて
いるのか?都市化やヒートアイランドなどの局地
的な温暖化を混同しているのではないか?
(2)温暖化しているとしても,それが,人為的原
因か?例えば,少なくとも太陽活動による気候変
動を無視しているのではないか?
(3)人為的原因により温暖化して,何が悪いのか
といった疑問点に答えることによって,「地球温
暖化問題とは何か」を考えてみよう.
この疑問の中心にある事実は,地球の温暖化を
科学的に証拠づける観測データがあるのかと言う
点である.さらに,観測点はヨーロッパ大陸や
アメリカ大陸などの陸上,先進国を中心に偏って
いる.地球の7割を占める海洋の表面のデータな
どは非常に少ないのに,グローバルな気温の変動
など議論できるのかという疑問が付け加わる.
確かに,都市気候の影響は存在する.従来は,
郊外で人家の影響の少ないところに置かれた測候
所が時代の変化の中で住宅地の真中やバイパスの
そばになった例も多くあることであろう、また,
海洋上のデータが少ないのは事実である.しかし
ながら,データが少ないからといって何も推定で
きないと言う態度は科学的ではない.現在のとこ
ろ,これらの不充分なデータを最大限利用して,
都市化の影響やデータの偏りなども考えて全地球
平均の気温の推定が行われている(図1参照).
さらに,強い証拠は,1980年代以降の気温の
データである.この頃になると,全地球上は,極
軌道衛星で観測され,少なくともデータの不足と
いう事は少なくなった.また,天気予報に用いる
数値モデルは,昔に比べて格段に良くなったと断
言できる(最近の1日予報はよく当たるようにな
った).これらの数値モデルと様々なデータを用
いた4次元解析システムが整備され,これによっ
て提供される地表面の温度のデータは,相当に信
頼できると考えられる.これらの80年代以降の
データを見てみても,急速に温度が高くなってき
ている.ここは確実に信頼できる.
いちばん科学的にまっとうな批判は,極軌道衛
星に搭載されたマイクロ波センサーによる大気下
層温度の観測との不一致である.これらの衛星デ
ータによれば,1980年以降対流圏下層の温度は
昇温していないと言う結果が得られていたのであ
る(先ほど述べたように,衛星に搭載された赤外
放射計から得られた温度のデータは,4次元解析
システムに用いられており,このようなことは示
されていない).この不一致については,多くの
人はマイクロ波のデータが間違っているのだろう
と考えていたが,最近の研究の結果では,太陽活
動に伴う大気の抵抗による軌道の変化によって見
かけ上の気温低下が見られる,ということになっ
た.少なくとも,冷却化を示唆するデータは無い
と考えて良い.
以上の結果をまとめてみると.地球の温暖化.
特に,1980年以降の温度上昇は事実であり間違
いのないものと思われる.
そこで,根源的な質問,「温暖化して何が悪い
か?」について考えてみよう.普通,地球温暖化
問題を説明する時には,地球が温暖化し高温のた
め老人は熱射病で倒れ,熱帯性のマラリアなどの
疫病が中緯度にも広まる,悲惨なことが起きる,
だから,今辛抱しなければ,という「脅しの戦術」
を取ることが多い.しかし,都合の悪いことが起
きる,つまり,経済的な損得で温暖化間題を説得
するのは賢明なことではない.もし,「損得」で
温暖化問題を考えるのなら,得をするのなら温暖
化を進めれば良い,ということになってしまう.
少なくとも,犠牲が他人(国)にかかり自分(国)
に及ばなければ問題は無い,ということになって
しまう.
「地球温暖化問題」とは、「人間活動によって
地球が暖まっているか,否か」を知るという科学
'的な問題ではない.むしろ,人間活動が地球シス
テムのエネルギー循環・水循環・物質循環などに
影響を与えるほどに大きくなった現在,特定の
人々を切り捨てずに今後地球上で人類が生存して
行くにはどのような社会システムを作れば良い
か,そのような行動原理を立てれぱ良いか,とい
う政治・経済・社会的な問題である.ただ,その
時に,科学技術的な知見が不可欠になる,と言う
わけである.
科学的知見が不充分であるから行動できない、
と言う人がいる.しかしながら,前節までに述べ
たように,多くの事実とIPCCなどの結果によっ
て大体の結果は出ていると恩われる.「安逸な道
は無い」と覚悟するか.あるいは,「どうでもよ
い」と不貞腐れることであろう.
一言付け加えておくと,「不確実だから行動で
きない」というのは嘘である.日常生活でも全て
の出来事が確実なわけではない.しかし,多くの
人は,当然のこととして毎日生活をしている.こ
れは,「不確実であっても自分の生活に大きな差
異は無いから大丈夫」と思っているからである.
地球温暖化を認めなくない人は,人間による地球
温暖化という命題が不確実だから反対しているの
ではなく,地球温暖化に関する行動をしたくない
ので不確実性を理由として反対していると恩われ
る.従って,「地球温暖化問題とは何か」という
ことを冷静に判断しなければならない.
地球の歴史から眺めてみると,現在の二酸化炭
素分圧は,最小に近い.従って,地球の歴史の中
には現在の二酸化炭素の分圧の数倍程度の時代は
存在した.また,地球の気温の歴史を復元してみ
ると,気温の変化も,ずっと極端であった一そし
て.この環境の変化に応じて,生物は適応して進
化してきたのである.
一方,現在の我々は,自然のシステムの上に住
んでいると言うよりは,直接には,社会政治経済
環境や2次的自然に住んでいるのである.現在予
想されている程度の温暖化は,水とエネルギーが
保証されている限り(そして,収入が充分で物資
がお金で購入できる限り)さして問題は無い.影
響を受けるのは,クーラーも買えない,健康状態
の悪い貧困層(国)である.従って,温暖化によ
る不具合を社会的に弱い層に押し付け生き残る
「強者の論理」は成立し得る.後は,各個人の人
間的完成・倫理性の問題である.ただ,地球温暖
化などの自然環境の変化が生じれば.現状の社会
政治経済環境に,大きな擾乱が生じる可能性があ
る.それこそが重要な問題なのである.
歴史を眺めてみれば,気候の変動が,旱魃や飢
饉を生み,その結果として,民族の移動や革命な
どの政治体制の変革が行われた.同様に,人間活
動の進展による地球温暖化が,水資源の枯渇と食
料問題を生み,発展途上国の政治・経済的体制を
不安定にさせ,波及的に,世界的な秩序の不安定
化をもたらすことは容易に想像できる.そのよう
な事態に対して,払わなければならないコストは
膨大なものであろう.
ここで、冷静に戦後の歴史を振り返ってみよう.
戦争に負けた中で,日本は、軽武装,経済重視の
国造りを行ってきた.それを支えた世界の経済体
制は,全世界から物資を購入できるし,全世界に
物資を売り込むことが出きることにおいて,日本
にとって,非常に有利な体制であったと言う事が
できよう.食料の自給率が異常に低くとも,何事
も無く過ごしていられるのも,お金を出せば食糧
や資源を買うことが出きるという安心感からである.
しかし,この体制は、神から与えられたもので
もなく,未来永劫続くものでもない.多くの人が,
この体制を認めない限り,これを維持することは
困難である.日本としては,現在の政治・経済体
制から利益を得ているのであり,基本的には,こ
れを維持・発展させて行く必要があろう.
そのためには,日本としても,21世紀を通し
て,地球上の全人類が生活していけるような枠組
を提案して行く必要があろう.地球環境問題を議
論する時には,しばしば,悲劇的な論調をとるこ
とが多い.そうでなくとも,悲惨さを強調して世
論を纏めようとしがちである.しかし,実際に重
要なことは,確実に未来を開いて行く具体的なプ
ランである.「新しい社会を作り上げる時に,そ
んなに悲惨な生活をする必要は無い.今,不必要
に使っているエネルギーや物質を少し辛抱すれば
良いのだから」といったような具体的なプランを
示す必要がある、そして,そのようなプランが有
効なのは,地球温暖化の影響が皆の目にも明らか
にならない今なのである.まだゆとりのある時で
あるからこそ,ゆっくりと対応策を練ることがで
きる.
将来は,必ず省エネルギーの社会,環境と調和
した社会でなければならないし,自己の欲望を制
御できるような枠組を作るしかないであろう.そ
のためには,科学技術の発展を起訴に,新しい文
化的・思想的な背景を作り上げる必要があろう.