大気と海洋はともに地球流体と呼ばれ、その力学を記述する方程式系は共通で、両者ともにみられる現象が多く存在します。しかし、全球規模の大循環の実態を見た場合、大気と海洋の様相は大きく異なります。違いの原因はいくつかありますが、その中でも最も大きいと言ってよいものは、海洋は陸地の存在によって分断されているということです。このため、海洋は陸地や海底地形によって区切られた海盆ごとに異なる特徴を持ち、流れは地形によって大きく制約されます。そして、海峡を通した海盆間の水の交換が各海盆の状態を決めるのに重要な働きをし、その中には全球規模熱塩循環に大きな影響を与えるものも存在します。
ここでは特に北極海と他の海盆をつなぐ海峡の通過流の大西洋熱塩循環に対する影響に関する研究を紹介します。図1に北極海周囲の地形と以下で現れる海峡名を示しておきます。なお、以下では海洋大循環モデルでそれぞれの海峡の扱いを変えた場合にどうなるかという数値実験結果を示していますが、用いたモデルの解像度や海面境界条件データセットなどが研究ごとに異なっているので、基本となる実験(ベーリング海峡が開いている、カナダ多島海が開いている、フラム海峡をよく解像している)の結果が一致してはいないことをあらかじめ注意しておきます。
図1: 北極海周辺の地形と主要な海峡名。
ベーリング海峡は北太平洋の北端、ベーリング海の北縁に位置する、幅 100 km 弱、深さ 50 m 程度の海峡で、太平洋と北極海をつなぐ唯一の経路です。太平洋の塩分は全体的に大西洋に比べて低くなっています。その背景には大気による水輸送があるのですが、それに関しては「海面淡水収支と全球規模熱塩循環の関わり」を参照してください。そして、この塩分の差は海水位の差とも関係し、太平洋は全体的に大西洋よりも水位が高くなっています。この水位差が原因となって、ベーリング海峡では太平洋から北極海向きに水が流れ、流れ込んだ水は北大西洋へと向かいます。
ベーリング海峡を通過する北太平洋表層水は、その行き先である北大西洋表層水と比べて低い塩分を持ちます。したがって、この低塩分水の輸送は北大西洋高緯度における深層水形成を弱める働きを持ちます。海洋大循環モデルで実験を行うと、ベーリング海峡を閉じた場合には、開いている場合に比べて大西洋熱塩循環の流量が 20 % 近く増加するという結果が得られます(図2)。
図2: ベーリング海峡が開いている場合(左)と閉じている場合(右)の大西洋子午面循環流線函数。東西方向に積分した流れの緯度−深さ面内での流線函数を表し、 等値線に沿って極大値を右に見る向きに循環が存在する。Hasumi (2002) より。
ベーリング海峡通過流を全くなくしてしまうと、このように大西洋熱塩循環は強まるのですが、海峡を深くしたり浅くしたりしてベーリング海峡通過流の流量を 50 % 程度増やしたり減らしたりしても(通過流の流量は海峡の両側の水位差と海峡の深さに比例します)、大西洋熱塩循環はほとんど影響を受けないという結果も海洋大循環モデルで得られています。これは、ベーリング海峡通過流の増加(減少)が北太平洋の低緯度側に存在する比較的塩分の高い水をベーリング海峡により多く(少なく)引き込むため、通過流の塩分が増加(減少)して流量の変化を打ち消すからです。
北極海は陸地に閉じ込められた海盆で、太平洋や大西洋との交換口もほとんどが浅い大陸棚になっています。その唯一の例外が、グリーンランドの北端とその東側にあるスピッツベルゲン島の間にあり、北極海とグリーンランド海をつなぐフラム海峡です。この海峡の深さは 2500 m 以上あり、上層ではグリーンランド海から北極海に向かう西スピッツベルゲン海流と逆向きの東グリーンランド海があり、西スピッツベルゲン海流は中層までを占めて大西洋を起源とする高温高塩分水を北極海中層に送り込み、深層では北極海からグリーンランド海への流出がある、という具合に、非常に複雑な流れの構造をしています。そして、これらの流れが大西洋熱塩循環にとって大きな役割を果たしています。
これらの流れのうち、西スピッツベルゲン海流に着目してみます。この海流の元をたどって行くと、ノルウェー大西洋海流・北大西洋海流・メキシコ湾流と行き着き、高温・高塩分の水を北極海へ運び込む役割をしています。この西スピッツベルゲン海流を海洋大循環モデルで表現するために必要な要素として最も重要と言ってよいものは、フラム海峡におけるモデル解像度です。フラム海峡そのものがモデルで表現されていても、その解像度が十分でないと、東グリーンランド海流がフラム海峡を占拠してしまいます。そして、海洋大循環モデルにおいて西スピッツベルゲン海流が表現できないと、大西洋熱塩循環の強度は著しく 弱くなってしまいます(図3)。
図3: 海洋大循環モデリングにおいて、フラム海峡が十分に解像されていない場合(左)と解像されている場合(右)の大西洋子午面流線函数。Oka and Hasumi (2004) より。
海洋大循環モデリングにおける解像度は有限のもので、特に熱塩循環をモデリング対象とする場合にはモデル上の時間で長時間にわたる計算が必要となるため、できる限り解像度を低く抑えて計算量を減らしたいという要請があります。その一方で、この例のように、熱塩循環を扱うためにどうしても表現しなければならない現象の中には、ある程度の高解像度を要求するものが存在します。熱塩循環の実態や成因に関してはまだまだ不明な部分が多くあります。熱塩循環を海洋大 循環モデルで表現するためにはどのような点に注意しなければならないかを明らかにしていくことは、熱塩循環の成因に関する物理的理解を深めることそのものであるとともに、熱塩循環に関わる海洋・気候現象を数値モデルを用いて研究するために必要とされることです。そのためになすべきことは、幸か不幸か、まだ まだたくさんあります。
カナダ多島海では多数の島の間をぬって北極海とバフィン湾をつなぐ水路があり、ここを通る通過流は北極海からバフィン湾へ、そしてラブラドル海を通して北大西洋へと流れます。先ほど述べたベーリング海から北極海へ流入する比較的低塩分の太平洋水の多くは、カナダ多島海を通って北極海から流出します。ラブラ ドル海では深層水形成が起こっており、カナダ多島海を通過する低塩分の太平洋水はそれに直接影響を与えて抑制する方向に働くと一見すると考えられますが、 実はそうはなっていません。ラブラドル海には西グリーンランド海流とラブラドル海流からなる反時計回りの水平循環が存在し(図4)、カナダ多島海を通り抜 けた低塩分水はこの循環にのるため、ラブラドル海の中央で生じている深層水形成には直接の影響を及ぼさないのです。
図4: ラブラドル海周辺の海流。
このため、海洋大循環モデルを用いてカナダ多島海を閉じた実験を行ってみても、ラブラドル海への低塩分水の供給はなくなるもののラブラドル海での深層水形成は強まりません。それどころか逆に弱まってしまいます。低塩分水がカナダ多島海を通過できなくなったということは、その分がすべてフラム海峡を通って流れ出ることを意味し、東グリーンランド海流の塩分を低下させます。この東グリーンランド海流、およびそれに続く西グリーンランド海流はラブラドル海中央部に影響を及ぼしやすく、そのためにラブラドル海での深層水形成が弱まってしまうのです。そしてその結果として、カナダ多島海を閉じると大西洋熱塩循環が弱くなります(図5)。
図5: 海洋大循環モデリングにおいて、カナダ多島海が開いている場合(左)と閉じている場合(右)の大西洋子午面循環流線函数。Komuro and Hasumi (2004) より。
このように、太平洋から北極海を通して流れ込む低塩分水が大西洋の熱塩循環に影響を与えると言っても、低塩分水の通り道によってその影響の与え方は異なり、さらにカナダ多島海とフラム海峡というふたつの通り道はその影響の与え方において連動していることがわかります。
Hasumi, H. (2002): Sensitivity of the global thermohaline circulation to inter basin freshwater transport by the atmosphere and the Bering Strait throughflow, Journal of Climate, 15, 2516-2526.
Komuro, Y., and H. Hasumi (2005): Intensification of the Atlantic deep circulation by the Canadian Archipelago throughflow, Journal of Physical Oceanography, 35, 775-789.
Oka, A., and H. Hasumi (2005): Role of salinity transport through northern high-latitude narrow passages in the formation of the Atlantic deep circulation, Ocean Modelling, submitted.