最終更新日: 2004年7月1日

海面淡水収支と全球規模熱塩循環の関わり

全球規模熱塩循環に対する風の影響」の中でも述べているように、熱塩循環の下降流・上昇流は海面での浮力の喪失・獲得と対応しています。その中で、海面の高塩分化・低塩分化をもたらすものは蒸発・降水・河川水流入という海面での淡水の出入りです。もう一方の浮力変化要因である海面での加熱・冷却が海面水温に依存するのに対し、海面での淡水の出入りは海面塩分には(ほとんど)依存しないという特徴を持つため、熱塩循環は海面淡水収支のわずかな変化に対しても敏感に反応する可能性があります。したがって、熱塩循環の変化やそれに伴う気候の変化を考える場合、海面淡水収支が重要な視点となります。また、海上での降水・蒸発や河川流出量の観測にはいまだに不確かな部分が大きくあり、現在の全球規模熱塩循環の状態と海面淡水収支の関係もまだまだよくわかってはいません。

低緯度における大気淡水輸送と全球規模熱塩循環

海面における降水・蒸発・河川流出を太平洋と大西洋で比較すると、用いるデータによって値の違いはあるものの、太平洋は淡水を獲得し、大西洋は淡水を失っています。そのために大西洋の海面塩分は全体的に太平洋よりも高くなっています(「海峡通過流による全球規模熱塩循環のコントロール」で触れたように、これは水位差にも現れます)。また、北大西洋では熱塩循環の起点となる深層水形成が存在しますが、北太平洋にはそれは存在せず、その違いの大きな部分はこの塩分の違いに求めることができます。

海面で見て太平洋が淡水を獲得し大西洋が淡水を失っているということは、大西洋上の大気が獲得した水蒸気が水平的に輸送されて太平洋に降り注いでいることを意味します。太平洋と大西洋を隔てる陸地は中央アメリカの部分で幅が狭くなっています。また、この領域は熱帯で、降水量・蒸発量ともに多い領域であるとともに、貿易風が吹いていて大気は大西洋側から太平洋側へ流れます。そのため、熱帯大西洋上で蒸発した淡水が流されて太平洋上での降水となり、これが太平洋と大西洋の間の海面淡水収支の違いの大きな部分を説明します。

この大西洋から太平洋への大気による淡水輸送量は、エルニーニョや温暖化など、様々な気候変動に伴って変化します。そしてこの輸送量は大西洋熱塩循環の強度に影響を与えます。輸送量が増えれば大西洋は全体的に高塩分化するため、深層水形成が起こりやすくなって熱塩循環が強化されます(図1左)。その一方で、この大気による淡水輸送量の増加は、太平洋と大西洋の水位差を増加させ、ベーリング海峡通過流量も増加させます(図1右)。「海峡通過流による全球規模熱塩循環のコントロール」で述べたように、ベーリング海峡通過流は大西洋熱塩循環を弱める働きを持っているのですが、やはりそこで述べた理由によ り、ベーリング海峡通過流の大小はあまり大西の熱塩循環に影響を及ぼさないことも実験結果に見られます(図1左の青と緑の比較)。また、この大気による淡水輸送量を減らしていくと大西洋熱塩循環は弱くなっていきますが、大西洋全体から海面で失われる淡水の量がほぼ0になると熱塩循環強度もほぼ0になるという結果が得られています。

AMOC sensitivitybering sensitivity

図1: 熱帯における大西洋から太平洋への大気水蒸気輸送量を変化させた時の、(左)大西洋子午面循環強度、(右)ベーリング海峡通過流量の変化。左図の色の違いは、ベーリング海峡を開いた場合(青)、閉じた場合(赤)、流量を固定した場合(緑)のそれぞれ表す。Hasumi (2002) の結果より。

北極海への河川流出量と全球規模熱塩循環

北極海の海面淡水収支においては河川流出が大きなウェイトを占めます。北極海の面積は全海洋の4%以下に過ぎないのに対し、世界中の河川全流量のうち約 10 % が北極海に注ぎ込んでいます。また、北極海では低温のために蒸発量や降水量が小さく、そのために河川流出量の重要性はさらに高くなっています。

北極海に入った淡水はフラム海峡やカナダ多島海を通して大西洋へと流出します。「海峡通過流によ る全球規模熱塩循環のコントロール」では主に太平洋から流入した低塩分水がそれらの海峡を通って大西洋へ流出することの大西洋熱塩循環に対する影響について述べていますが、河川から北極海へ入った淡水の大西洋への流出はそれ以上に大きな影響を及ぼします。

上の例では熱帯の海面収支が大西洋熱塩循環に与える影響を見ましたが、海面淡水収支に与える変化の量が同じでも、それをどの領域に与えるのかによって大西洋熱塩循環の変化量は大きく異なります。海洋大循環モデリングで海面の淡水フラックスの大きさを様々な領域で変化させて実験を行うと、熱帯に変化を与 える場合に比べて北極海に変化を与える場合では大西洋熱塩循環の応答量が数倍から10倍程度大きいという結果が得られます。また、北極海の河川流出量は必ずしもよい精度のデータが得られているとは限らないのですが、海洋大循環モデリングにおいてどのようなデータを使用するかでも大西洋熱塩循環の強度は大きく違ってしまいます(図2)。

Runoff Perry     Runoff OMIP

図2: 海洋大循環モデリングにおいて、海面で境界条件として与える河川流出量に異なるふたつのデータセットを用いた場合の大西洋子午面循環流線函数。東西方向に積分した流れの緯度−深さ面内での流線函数を表し、等値線に沿って極大値を右に見る向きに循環が存在する。Oka and Hasumi (2004) より。

自然なあるいは人為的な気候変動によって気候の水循環(降水や蒸発の量や分布、およびそれをもたらす大気の循環)が様々に変化すると考えられていますが、その結果として北極海に流れ込む河川流出量が少し変わると、全球規模熱塩循環が大きく変化し、その影響を受けて気候全体が大きく変化するという可能性も考えられるのです。



参考文献

Hasumi, H. (2002): Sensitivity of the global thermohaline circulation to interbasin freshwater transport by the atmosphere and the Bering Strait throughflow, Journal of Climate, 15, 2516-2526.

Oka, A., and H. Hasumi (2004): Effects of freshwater forcing on the Atlantic deep circulation: a study with an OGCM forced by two different surface freshwater flux datasets, Journal of Climate, 17, 2180-2194.

ひとつ上に戻る