ヴァーダ教授の講演録より「二十世紀の地球生命史論
ILLUME (A TEPCO SEMINNUAL REVIEW Vol.4 No.1 第7号より 1992/4発行)
以下は、西暦二三〇〇年、地球市民講座『生命史と物質循環』のなかで、ヴアーダ教授が行なった講演を収録したものである。
「市民のみなさん。われわれホモサピエンス(賢人)の社会は、十八世紀に第1次産業革命を、二十世紀後半に第二次産業革命を経て、二十四世紀を迎えるにあたり、ようやく第一次人類革命を通り過ぎようとしているところであります。
二十世紀末に起こった初期人類革命の混乱は、多くの困難はありましたが、人類史上初めての叡知の発揮によって克服され、ようやく明るい前途が見えてきました。
いま、私たちはホモサピエンスとして、誇りを持ってわれわれの先祖が歩んだ三百年の歴史を振り返ることができるようになりました。
本日は、人類革命史の一頁を飾る二十世紀後半に生きた人類が、何を体験し、その前途をどのように見ていたか、について、その一端を紹介することにしたいと思います。
具体的には、その当時、生物地球化学という学問をしていた一研究者の書き残したものを教材として使います。仮りに彼の名前をW氏としましょう。
たまたまの偶然ですが、彼は十代前の私の先祖にあたります。彼から見て十代後の私は、彼の九九二人の子孫のひとりであり、日本人の血を二五%持っております」
「彼が残した著書が人類革命史になにほどかの役割を果たしたか否かは、講演後のみなさまの判断におまかせするとして、まずはじめに二十世紀未の状況を簡単に説明したいと思います。
第二次世界大戦終了(一九四五年)後の人類社会の五十年は、ある意味で物質文明がいきつくところまでいった時代であります。
原子力エネルギーの発見、分子生物学を基礎とした遺伝子操作技術の展開、石油の大量消費、人口の爆発(五三億四〇〇〇万人、一九九一年十二月当時)の世界が二十世紀末の姿でした。南極にオゾンホールができたのもこの時代であり、地球環境問題は、これから深刻になる大問題となっていました。
われわれホモサピエンスの目から見ると信じられないことですが、化学物質として貴重な石油を、単純に燃料として使ったり、もっとも耕地に適している大河川の河口域の平野には大都市が作られ、耕地として不適当な場所の開発や森林の破壊が進んだ時代です。
第二次世界大戦後、政治の世界は軍縮からオイルショックによる経済問題、さらには地球環境問題と結びついた国別炭酸ガス放出規制(″軍縮″に対して″熱縮″という言葉が生まれた) へと移行していたようです」
「一九九一年には、二大強国の一つであったソ連邦が解体し共和国連合体となっておりますが、一九九二年にはヨーロッパ共同体(EC)が成立したことは歴史の教科書に出てくるとおりであります。
このすこし前、一九六九年にはアメリカの宇宙船アポロが月に着陸し、人類は歴史上初めて、他の天体に足跡を残しております。このとき、人類は初めてみずからの目で全地球をその視野におさめたわけです。これは現在のみなさまがご承知のように、人類革命のトリガーの一つとなりました。
当時の人びとは、人類の文明活動が地球を食いつぷしていることを直観的に感じるようになりました。しかし、どうすればよいのか、その方向は暗中模索であったようです。当時の人びとは、テレビで「スターウォーズ」などの宇宙戦争(Space War)を楽しんでいたようですが、人類活動の激しさが、地球相手の”時間の戦争”(Time War)を引き起こしていることには気がついていなかった時代です。
さて、二こでは三百年前に書かれたW氏の二、三の著作を紹介し、ところどころ私が解説を加える形で話を進めていきます。
彼の考え方がその後どのようになったか、これはすでに過去のことでありますから、市民のみなきまには正確な判断ができると思います。彼の著書の中には、今後われわれホモサピエンス(賢人)が進む方向に関して、まだ役立つことがすこしは残っているような気もいたします。
それではW氏に登場してもらいましょう」
「一言つけ加えますと、W氏は眼鏡なるものを掛けていました。これは凹凸レンズの組み合わさった遠近両用のものでしたが、彼は仕事がら、他の人よりもすこしばかり時間の遠近も見えたようです。ただし、そのレンズはそんなに上等であったとは思えません。写真がありませんので、眼鏡をかけた猿を想像していただければ本質的な雰囲気はあたっているとご理解ください」