阿部彩子会員は、最近100万年間の気候変動の最大の謎である「氷期・間氷期サイクルがなぜ「のこぎり型」で10万年周期なのか」という問題に取り組み、数値シミュレーションを用いて、これらの現象の特徴を再現することに世界で初めて成功した。北半球高緯度の夏の日射量変動と氷期-間氷期サイクルの密接な関係はミランコビッチ仮説として広く知られており、さまざまな古気候データが蓄積されている。これまで、欧米の研究グループを中心に大気海洋結合大循環モデル(AOGCM)を使って10万年周期の卓越を説明する研究が進められてきた。しかし、約2万年と4万年の変動周期が卓越する日射量変動と、最近100万年間に卓越する10万年周期および「のこぎり型」を示す変動との関係については合理的な説明が得られていなかった。阿部会員は、初めて、AOGCMと固体地球の変形モデルおよび氷床の三次元物理モデルを組み合わせた時空間変動復元を試み、「のこぎり型」で10万年周期の変動のメカニズムが大気-氷床-地殻間の非線形な相互作用に基づくものであることを明快に説明した。さらに、大気中の二酸化炭素濃度の変化はサイクルの振幅を増幅させる機能はあるものの氷期・間氷期サイクルの主要因ではないことを検証した。この研究により、第四紀中・後期の氷期・間氷期の環境変動に関する理解が大きく進展した。また阿部会員は、AOGCMを用いて過去の気候変動についての研究を国際的に推進しており、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第5次評価報告書のまとめにおいて古気候に関する章の代表執筆者に選ばれている。
以上のように、阿部会員の氷期・間氷期サイクルと古気候モデリングに関する一連の研究は、日本第四紀学会学術賞にふさわしいと判断する。
第四紀の氷期・間氷期サイクルの根本的原因はミランコビッチによる北半球高緯度の夏季の日射強度の変化と考えられているものの、日射変動の中では大きな成分でない10万年の周期が氷期・間氷期サイクルの基本になっているのはなぜか、ゆっくりとした氷期の進行と急激な温暖化という「鋸の歯」状の変化を起こすのはなぜか、など、そのメカニズムは未解明のままであった。阿部彩子氏は大気-氷床-地殻相互作用モデルを開発し、よく練られた実験計画のもとに一連の数値実験を行って、10万年周期が氷床と気候の相互作用の結果としてあらわれることを示し、氷期・間氷期サイクルの機構解明に一石を投じた。
阿部氏は氷床および古気候に関するモデリング研究で2007年度堀内賞を受賞したが、大学院生であった齋藤冬樹氏を指導して独自に開発した3次元氷床モデルを用いて、過去12万年間の氷期・間氷期サイクルの鋸の歯状の変化の特徴や、氷床の世界的な分布を再現することに成功した。このモデル実験では、氷床変動による強制やフィードバックを大気大循環モデルから見積もり、その情報に加えて、軌道要素変化と大気中二酸化炭素濃度変化を入力としている。この実験の重要な点は、水蒸気や雲など早い時間変動の気象学的な応答と、氷床の沈み込みと回復という遅い時間変動の応答を共存させて計算したことにある。その後、この研究をさらに発展させ、過去40万年間の氷期・間氷期サイクルに対して、地球軌道要素パラメータや二酸化炭素濃度、基盤岩がアイソスタシーを保とうとする時の遅れ時間、などを変えた実験を行い、それぞれの効果の役割を明らかにした。その結果、近日点の位置や離心率の変化による日射の変化に対する大気-氷床-地殻の相互作用によって、10万年周期が生まれていることを明らかにした。また大気中二酸化炭素濃度は氷期・間氷期サイクルに伴って変動し、その振幅を変調させる働きがあるが、二酸化炭素が主体的に10万年周期を生み出しているわけではないことを示した。さらに、日射強度に対する氷床の平衡応答が、氷床の初期条件に依存する2重平衡状態にある事は既に知られていたが、北米の場合には、氷床成長・減衰の周期的変動でヒステリシス効果が働いて氷床面積が鋸の歯状の変動を示し、一方、ヨーロッパでは氷床が徐々に成長し徐々に後退するという変動を示すことを明らかにした。10万年周期には大気中二酸化炭素の平均的濃度が重要である事も示しており、約100万年より以前の4万年周期変動が、その後10万年周期に変調したことの解釈を与えている。
以上のように、阿部氏は、氷期・間氷期サイクルの再現に世界で初めて成功した。モデルには二酸化炭素濃度を外部強制として与えており、海洋大循環は入っていないなど、氷期・間氷期サイクルの完全な理解までには至っていないが、一つの大きなステップを踏み出した事は間違いない。この業績は、日本気象学会賞にふさわしいものである。また同時に阿部氏は気候モデルを用いた古気候の復元研究を長年にわたって行い、最終氷期最盛期の気候復元などの古気候モデリング相互比較計画に主要メンバーとして参画してきており、この分野において日本と世界をつなぐ重要な役割も果たしている。
以上の理由により、阿部彩子氏に日本気象学会賞を贈呈するものである。
阿部彩子会員は、1993年の博士論文 “Ice Sheet Response to Climate Changes: A Modeling Approach” 以来、気候変動と氷床との相互作用の研究を軸として、数値シミュレーションを用いて、後期第四紀の最大の謎である、「氷期-間氷期サイクルがなぜ10万年周期であるか」という問題に挑んできた。
北半球高緯度の夏の日射強度が氷期-間氷期サイクルを引き起こすことは定説となっているが(ミランコビッチ理論)、約2万年と4万年の変動周期が卓越する日射量変動から、どのようなメカニズムによって、10万年周期が生まれるのかについては諸説があり、見解が一致していなかった。阿部会員は、大気-氷床-地殻にわたる非線形な相互作用、とくに、北米大陸の形状や気候の地理的分布がそのメカニズムを担っており、大気中の二酸化炭素(CO2)濃度は補助的な働きがあるものの第一義的なものではないことを明らかにした。
従来、氷床などの気候要素を概念的に捉える簡略化モデル(メカニスティックモデル)を用いて、各パラメータを微調整して再現することは行われていた。しかし、観測事実から、それらのパラメータの値を導くことは困難であった。阿部会員は、気候モデルと三次元氷床モデルを用いて、復元された氷床を含む気候状態を時空間的に詳しく再現し、そのモデルを用いて10万年周期のメカニズムも説明し、高い評価を得た。
古気候シミュレーション研究は、地球温暖化予測に用いる気候モデルの性能を確認する上で重要であり、第5次IPCC報告書でも古気候に関する第5章が設けられ、阿部会員はその代表執筆者の一人になっている。また、阿部会員は、古気候モデリングの第一人者として、国際共同研究PMIP(Palaeoclimate Modeling Intercomparison Project)などの国内外の研究プロジェクトで主要な役割を果たしてきた。
以上のような地球環境史の解明に対する優秀な貢献に鑑み、阿部彩子会員に地球環境史学会貢献賞を授与する。
地球の長い歴史の中で、極域の氷床の拡大縮小は、気候と大きく関係し気候変化の重要な指標になっている。とりわけ、人類が進化してきた最近100万年間は、氷期と間氷期が交互に約10万年の周期で交代し、氷床もその周期で拡大と縮小を繰り返してきた。このような気候と氷床の地球規模の変動を過去から将来にわたってシミュレーションし、その変化のしくみを解明する道を開くことに、阿部彩子博士は重要な貢献をした。
阿部氏は古気候の変動のしくみ、特に氷期と間氷期の気候の違いやその周期的な入れ替わりの原因解明を目指してきた。そのためには、氷期―間氷期サイクルで大きな役割を果たす氷床変動のしくみを理解することが不可欠と考えた。また、定量的に理解するには、コンピューターの中で地球上の現象を再現するプログラムを作り、想定される条件でその変動を計算して再現する「モデルによる数値実験」が必要と考えた。
大目標は、氷期―間氷期サイクルの再現。10万年の氷期―間氷期サイクルは、地球の軌道要素の変動だけでは説明できず、氷床、地殻・マントルと気候の相互作用が重要と言われている。これらの要素をすべて入れて、10万年以上の変化を計算することは、現在のスーパーコンピュータの能力をもってしてもむずかしい。
そこで、本質的な要素をどのように計算に入れ、どこを簡略化できるか検討した。氷床は、太陽光をよく反射し、その上空の大気の温度成層を安定化させる一方で、障害物として山岳と同様に偏西風の流れのパターンを変える。これらの氷床の性質が気温、降水量、大気循環などに及ぼす影響を解析した。地球軌道要素と二酸化炭素濃度が気候に与える影響も定量的に推定した。さまざまな工夫を重ねて、10万年以上の変化の計算も可能な「気候・氷床結合モデル」ができた。これに12万年間の地球軌道要素と大気組成の時間変化を与え、応答する氷床の体積変化を計算した。コンピューターの中で、ゆっくりと氷期が進行した後、急激な温暖化が起こった。世界的な氷床分布の変化も再現できた。観測でわかっていた10万年サイクルの氷期―間氷期変動の特徴を再現することに世界で初めて成功した。日射が強くなると、氷床が小さくなり、地殻変動を起こし…という相互に影響を及ぼす地球の変化を読み解く道が開けた。
従来の古気候の研究では、地質学や地球化学手法で過去の事実の「観測」に重きが置かれていた。メカニズム解明には、時間スケールの長さから、概念的で簡単なモデルしか用いられてこなかった。しかし、概念モデルでは、その結果を直接、観測事実と比較・検証できないので、推論が多くならざるをえない。阿部氏は、世界で初めて、本格的な物理的気候モデルと3次元氷床モデルを結合させて観測事実の再現に成功し、この分野の研究に新機軸をもたらした。12万年の時間変化の計算を行い、日単位の気象現象を表現しながら、長期の時間スケールである氷期―間氷期サイクルの再現に成功し、古気候観測事実との対応を可能にしたことで、古気候研究における一つの新しい流れを作った。阿部氏は、現在、植生や炭素循環や海洋深層循環変動も考慮に入れて、さらに進化させたモデルを使う研究も発展させている。
長い時間スケールの気候変動の力学を詳細に解明する試みは、古気候の理解のみならず気候力学にも重要な貢献をした。古気候変動の再現には、注意深くそれぞれの物理過程を表現しなければならないことがわかり、気候システムは、極めて多くのプロセスの微妙なバランスの上に成り立っていることを改めて示した。古気候シミュレーション研究は、気候モデルの性能を確認する上でも重要だということが最近、認められてきた。地球温暖化予測に用いる気候モデルで、古気候変動を再現できれば、地球温暖化予測に対する信頼度を高めることになる。IPCC報告書でも古気候研究が大きく取り上げられるようになった。
阿部氏は2013年に出版が予定されている第5次IPCC評価報告書の執筆者にも選ばれている。地球温暖化に似た現象は過去にもあり、6千~9千年前や13万年前、数百万年前に顕著な氷期サイクルが始まる前の温暖期などが関心を集めている。これらに関連した研究は、国際的に共同研究でなされ、阿部氏は推進役としても活躍している。