海洋は太平洋・大西洋などの海盆ごとに様々な違った特徴があります。北極海の特徴は、何と言ってもまず海氷に覆われていることですが、その他にも、周囲を陸に取り囲まれていて他の海盆との交換が大きく制約されていることや、周囲の陸から大量の河川水が流れ込むことなどが挙げられます。そしてこれらの特徴は互いに独立ではありません。また、現在進行中の地球温暖化の中では北極海の海氷の消失が危惧されていますが、そこには海上の大気が温暖になるから溶けるという単純な理由だけでなく、北極海の海洋としての特徴がどのように変質していくかという問題も絡んでいます。以下、海氷という視点を中心に、北極海の成り立ちについて見ていきます。なお、海氷に関する基礎的な事柄についてはこちらをご覧ください。
海氷は海面付近の海水が凍結したものなので、海氷が存在する場所・時期の北極海の海面付近の水温はだいたい結氷温度(塩分を含むために-2℃程度)にあります。一方、北極海の水深は深いところでは数千メートルに達しますが、海面付近以外の水温は結氷温度よりはかなり(といっても0℃前後ですが)高くなっています(図1)。湖に氷が張る場合も、湖面付近の水温は結氷温度ですが、下方の水温は結氷温度よりもかなり高いのが普通です。北極海と湖でのこうした状況は一見すると同じように見えますが、そうなっている理由は大きく違います。
図1: 北極海を横断する断面(下)における、(上)温度(正確には温位)[℃]と(中)塩分[‰]の分布。Tomczak and Godfrey (2002) より抜粋・加工。
先に湖に氷が張る場合について、というよりもそれをさらに理想化して、容器に入った水が上から冷やされて凍る場合について考えてみましょう。水温が凍結温度よりも十分に高くて(例えば10℃程度)一様なところから冷却を開始するとします。冷却とともに水面付近の水温は下がりますが、これは密度の上昇を伴います。上方の密度が下方よりも大きい状態は不安定で、その結果として上方と下方の水を入れ換える対流運動が起こります。そのため、冷やしているのは水面だけでも、水温の低下は下方にまで速やかに及びます。しかし、容器中の水全体がそのように一様に冷却されていくのは、水の密度が最大になる約4℃までです。それを越えて冷却を続けると、水面付近で冷却された水の密度は下方の水よりも小さくなっていくので対流運動は起こらず、水面で冷却された効果は下方には拡散によって緩やかに伝わっていくことになります。その結果、水面が凍結する段階では、冷却の仕方がよほど緩やかでない限りは、下方の水温は 0℃よりも十分に高い状態になります。
純粋な水の密度は水温約 4℃で最大となりますが、何かが溶け込んだ溶液ではその性質が変わります。塩水の場合、濃度が約2.5 %よりも大きい場合には、凍結温度に達するまで、温度が低いほど密度が大きくなります。したがって、水温だけで考えるならば、北極海のように下方ほど高温であるという状態は不安定です。さらに、海水の凍結時には海氷に取り込まれなかった塩分が排出され、海面付近の海水密度をさらに高める効果があり、これも対流運動を引き起こす効果を持ちます。しかし実際には、北極海の中央部では深海に達するような対流運動は起こっていません。それは、下方ほど塩分が高く、その効果で下方ほど密度が大きくなっているからです(図1)。
ちなみに、図1にはグリーンランド海が含まれていますが、ここでは水温・塩分ともに海面から海底までかなり一様になっています。これは冬季に海面における冷却で対流運動が海底まで発達していること、すなわち深層水が形成されていることを示します。
図1の温度分布に見られる大きな特徴として、北極海の水温は深さ数百メートルで極大をとることが挙げられます。これは、暖流であるメキシコ湾流を起源とする海流が北極海までつながり、高温かつ高塩分の海水を北極海内部に運び込んでいることが原因になっています。この大西洋水が運び込む熱量はとても大きく、もしその熱の全部が北極海の海氷を溶かすことに費やされるならば、現在存在する海氷をすべて溶かすことができるほどです(ただし、もし実際に大西洋水が北極海の海面付近に流れ込んでいたとすると、上で説明したような北極海の成層構造は大きく変わり、おそらく現在とは全く違った状況のもとで海氷の存在が可能になると考えられます。ここで言っているのは、あくまでも実際の北極海に存在する大西洋水の持つ熱量と海氷の持つ負の潜熱量の大きさの比較です)。実際には、大西洋水が運び込む熱の大部分は、北極海の水深数百メートルを流れにのって循環した後、フラム海峡を通って再びグリーンランド海へと運び出されています(「海峡通過流による全球規模熱塩循環のコントロール」も参照)。
大西洋水が北極海に運び込む熱が海氷を溶かすことにあまり使われないことは、大西洋水の上に低密度の水が存在し、これがバリアとなって熱の上方への伝達(対流運動や乱流混合)を妨げるからです。この熱のバリアを作るのに本質的に重要なのが、河川水の流入です。この点については次の項目で詳しく述べるとして、まずは大西洋水についてもう少し話を進めます。
大西洋水の熱が海氷を溶かすことにあまり使われないと言っても、それが無視できるわけでは決してありません。もし大西洋水の熱が北極海の海氷を溶かすことにまったく使われなかったとしたら、北極海の海氷は現実よりもずっと厚くなるものと考えられます。大西洋水の持つ熱が、北極海のどこでどのようにしてどれだけ上方に伝わるかを知ることは、北極海の海氷の状況を理解するために重要なことです。また、北極海に流れ込む大西洋水の温度が近年上昇してきているという報告があります。これは、単純に北極海に運び込まれる熱が増えることにとどまらず、北極海の成層を不安定化することを通して上方へ熱を抜けやすくする可能性もあり、もしそうなると海氷の減少が加速される可能性もあります。
このように北極海の海氷の存在を左右する要素として重要な大西洋水ですが、どのようなメカニズムによってどのような経路を通って北極海内部を循環するのか、またその過程でどこでどのようなメカニズムでどれだけの熱を上方に渡すのかについては、まだ十分にわかっていません。観測の面からは、海流を直接測ることは海面付近以外ではただでさえ困難なのですが、氷海である北極海では困難さがさらに増します。また、これまでに観測で明らかになっている大西洋水分布の特徴をよく再現するモデリングもまだ実現されていません。
モデリングが困難であることの一因は、北極海の循環の形成においては、他の海盆よりも格段に小さな規模の現象が重要に働いていると考えられることです。「気候の温暖化に伴う黒潮の変化」において黒潮を適切にモデリングするためには水平格子幅が 20 km よりも小さい必要があることを述べていますが、北極海の循環の場合には、これまでの経験などからしておそらく、水平格子幅が 5 km よりも小さい必要がありそうです。我々は現在、高解像度北極海モデリングを実施して、上に述べたような大西洋水の重要さを明らかにしようと試みています(図2)。
図2: 高解像度北極海シミュレーション結果の例。図中のカラーバーで示した色は海面水温を表し、白い部分は海氷に覆われていることを示す(ともに冬季の分布)。スカンジナビア半島に沿う高温水は大西洋側からの流入。その先でスバールバル諸島の東側と西側に分岐して北極海に流入した大西洋水は深さ数百メートルに沈み、大陸棚の端に沿って北極海内部を反時計回りに循環し、グリーンランドの東側から北極海の外へ戻ると考えられている。このシミュレーション結果の図では大西洋水の流入部分がよく捕らえられており、そこでは高温水の存在によって北緯80度付近まで海氷がそんざいしない様子が再現されている。
北極海は周囲を大陸に囲まれており、いくつかの大河川を含めて、多数の河川が北極海に注ぎ込んでいます。北極海の面積は全海洋の 4 % 程度ですが、流れ込む河川水の量は全世界の河川から海洋に流れ込む量の 10 % に達します。また、極域は中低緯度域と比べて降水量が小さいため、北極海への淡水供給源としては河川水が最も大きなものです。したがって、北極海においては河川水の重要性が他の海盆に比べて格段に高くなっています。
海面付近の塩分は場所によって異なりますが、大河川の河口近くを除くと、多くの場所は 32〜38 ‰の範囲にあります。北極海の中央部では冬季に海氷生成があり、その時に起こる塩分排出は海面付近の塩分を高める効果がありますが、それでもなお海面塩分は 32 ‰より低く保たれています。これは大量の河川水が陸に囲まれた北極海にたまることで実現されており、上に述べた通り、この河川起源の低塩分水が海面付近に存在することが大西洋水の熱が海氷を溶かすことを阻み、海氷が存在する重要な条件になっています。
北極海への河川水供給は、海氷の存在にとっては邪魔とも言える大西洋水を隔離し、海氷を存在しやすくする働きを持っています。しかしその一方で、この河川水供給があればこそ大西洋水が北極海内部に引き込まれるという見方もあります。河川水は海水に比べてかなり密度が小さく、海洋にとっては浮力の供給源となります。そして、ここやここで述べている通り、海面における海洋の浮力獲得は、熱塩循環の上昇流と密接につながっています。つまり、河川水の供給が大西洋と北極海を結ぶ大規模かつ浅い熱塩循環を引き起こしている可能性を意味します。このあたりの事情はまだはっきりと理解されているわけではなく、我々自身もその研究の途上にあるので、ここではそういう側面もあるという紹介にとどめておきます。
北極海に限らず、河川水が河口からどのように流れ、周囲の海水とどのように混合し、どのような海洋循環や塩分分布を作っているのかについては、実はあまりよく理解されていません。モデリングを用いると、例えば、河川流出水に色をつけて、その色を追跡することで河川水の行き先や河川水が作る海洋構造を知ることも可能になります。北極海が現実のような北極海らしくあるために河川水がどのような働きをしているのかに関する研究も、上に述べた大西洋水に関する研究とあわせて、我々は進めています。
北極海には太平洋からも海水流入があります。この太平洋水は、塩分の面では大西洋水より低く、河川水の影響が強い海面付近の海水よりも高くなっており、大雑把言えばその間に入り込むように存在し、上に述べたような状況をさらに複雑にしています。そしてこの太平洋水は、夏季には比較的高温の水を北極海太平洋側の深さ 100 m 程度に運び込みます。この熱は大西洋水が運ぶ熱よりも上方に伝わりやすく、それが海氷量の経年変動や、近年の海氷激減に関与しているという指摘があります。また、太平洋水がどのような経路で北極海内を流れて北極海の外に流出するのかは、「海峡通過流による全球規模熱塩循環のコントロール」で述べている通り、全球規模熱塩循環にとっても重要です。
我々のモデリング結果では、大西洋水が北極海内部を通る経路について、水平 10 km 以下という小規模の渦運動が本質的に重要であることが示されています(図3)。上に述べた大西洋水や河川水と同様に、太平洋水の振舞も北極海の海氷にとっては重要であり、そしてまだ十分に理解されていません。
図3: 高解像度領域モデルでシミュレートされた北極海ベーリング海峡付近(右上地図の赤枠で囲まれた領域)の表層流速(白線は等深度線)。太平洋からベーリング海峡を通って北極海に流入した海水の流れ方は、北極海の海氷や全球規模熱塩循環にとって重要である。シミュレーション結果では、それは強い沿岸流を経由して、渦の形で北極海内部に入る。こうした様子は水平格子数km程度の高解像度で初めて表現される。Watanabe and Hasumi (2009) より。
南極大陸では降雪量が融雪量を上回るために氷床が成長しており、その氷床が流動して海に流出することで氷床量が増え続けない状態が作り出されています。北極海の海氷にもある意味これと似たようなことがあてはまります。「風による北極海海氷の経年変動」でも述べられているように、北極海では年間を通した結氷量が融氷量を上回っており、余分な海氷はフラム海峡を通ってグリーンランド海へ流出しています。そして、やはりそこで述べられているように、その風の変動によって海氷の流出量は大きく変動し、それを通して北極海内の海氷量も変動します。また、「グリーンランド海とラブラドル海における深層水形成のシーソー変動」で述べられているように、北極海からの海氷流出量の変動は、深層水形成の変動を通して、全球規模熱塩循環にも影響を及ぼします。
海氷の流動特性もまた、気候の温暖化によって変質することが指摘されています。北極海の海氷が将来的にどのように変わるのか、それを知るためにはここまでに述べた様々な要素が全て重要な要素として関わってきます。
Tomczak, M., and J. S. Godfrey (2002): Regional Oceanography: An Introduction (pdf version 1.2).
Watanabe, E., and H. Hasumi (2009): Pacific water transport in the western Arctic Ocean simulated by an eddy-resolving coupled sea ice-ocean model, Journal of Physical Oceanography, 39, 2194-2211.